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The Power of Immunity~免疫活性により進行胃がんに打ち勝った父の闘病レポート~

The Power of Immunity
~免疫活性により進行胃がんに打ち勝った父の闘病レポート~

管理人について

少年のころ

 

私が生まれたのは昔から野球が盛んな土地である。そんな土地に根付いている父は当然野球が大好きで、地元にある高校は当時甲子園の常連校。全国でも野球好きなら誰もが知るところであった。

父は当然甲子園に出向いて大声で応援もしたし、地元での凱旋優勝パレードの際、なんと先導運転手まで務めてしまった。​

その後私が生まれたのだが、野球バカの父からしたら息子誕生は嬉しかったし、「息子に野球をさせる」ことは至極当然のことであった。

 

小学2年のとき、家が火事で全焼した。当然野球どころではない。そんな大変なとき父は私にグローブとボールをすぐに買ってくれた。全くお金がなくなって大変なときにだ。子供ながらにそれはとてもありがたかった。 

祖父は当時とても元気で、早朝深夜を問わないシフト制の仕事をしていた。当然夜勤明けは眠っているわけだが、私は祖父が大好きでキャッチボールの相手をいつもねだっていた。

祖父はどんなに仕事で疲れていても、どんなに眠くても嫌がることは一度もなくいつも私の相手をしてくれた。

 

祖父は本当にやさしい人で、そして近所でも有名な動物好きな人だった。ありとあらゆる動物を飼っていたのだが、今思うと祖父は動物に薬は一切使わず、栄養豊富な食事を与えていた。

祖父は戦争で出兵経験があるのだが、そのときの体験から得た本能と感性による様々なことを私に教えてくれた。それは今思うと、人間の本質を突いたことばかりだった。 

そんな祖父がそれからしばらくして肺がんでこの世を去った。

抗がん剤を散々打たれて背中が鱗のようにカサカサになって、最後には「お願いだから抗がん剤はやめてくれ」と病床から訴えていたにもかかわらず、当時家族全員「これがただ一つの治る道」だと信じて、大好きな祖父にどうしても治ってもらいたいという思いだけで、最後の願いも聞き入れてあげなかった。祖父は苦しみながら亡くなった。 

母から最初に父の病気についての電話をもらったとき、「父がまさか…」という思いで、すぐには家族の話として認識できなかった。

すぐ実家に戻って父に会ってみたら、ガリガリにやせ細り全くの別人となっていた。一瞬「えっ?」とわが目を疑った。祖父のこともあってがん=死と直結した。

父を大好きだった祖父と同じ目には絶対あわせたくない。どんなに仕事が忙しいときでも、火事ですべてが焼けたときでも、父は私たちのために本当に一生懸命だった。そんな父を祖父のようにがんなんかで死なせやしない!その思いでここまでやってきたのだ。 

 

祖父の闘病当時は、治癒力を高める療法はほとんどなくて、普通の医者の言うことを聞くことしか庶民には術がなかったし、それが治すために当然のことと誰もが思っていた。

今なおそう思っている人はたくさんいるし、今でも祖父のように治療で苦しんでこの世を去る人は後をたたない。だから私は父の闘病サイトを立ち上げすべての情報を開示した。 

医師から完治は無理だと言われても、余命を告げられても、それでも治る人はいるのだ、治す方法はあるのだ、ということを知ってもらいたいと思ったからだ。「がん=死」ではないと。

希少な一例として、父と同じようながん患者や家族の皆さんに少しでも希望と、一歩踏み出す勇気を持っていただけたら嬉しく思う。

緑のフィールドで野球


※本サイトについての注意点
・記載内容は、2006年から2015年ごろまでの、実際に起こった出来事です。
・管理人が独自に調べたことや、父のがん闘病中の経験による事実を掲載していますが、ご参考にされる際は自己責任のうえでお願いいたします。
・当時のサイトに記載した内容をそのまま掲載しているため、現時点の情報とは異なる点があります。
・父の治療方法や、当時使用した機能性食品についてのお問い合わせには一切お答えできかねますのでご了承ください。
(治療のメインとしていたsuperAFTMはすでに生産終了(廃番)となっており、後継品もありません。現在存在するアラビノキシラン製品は類似品もありますが、品質や内容はsuperAFTMとは大きく異なるようです。それらの製品については販売元にお問い合わせください。)
 

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